性善説vs性悪説
キリスト教原理主義に支配された国
映画『パージ』シリーズ(2013年~/ジェームズ・デモナコ監督)は全体主義国家となったアメリカで、年に1回行われる「パージ」の夜を描くスリラー。「パージ」(直訳すると「粛清」「浄化」)とは午後7時から午前7時までの12時間、あらゆる犯罪が合法化される夜のこと。血を求める者は武装して街に繰り出し、平和を求める者は固く施錠した家で息を潜める。もちろん殺人も合法だ。
第1作は富裕層の白人家庭が舞台。豪邸に高価なセキュリティ対策を施して安全に朝を迎えるはずだったが、逃げてきた黒人男性を長男が匿ったため、家族もろとも殺人者たちの標的にされてしまう。一軒の屋敷の中で話が完結するため、街全体でどんな騒ぎが起こっているのか分からないもどかしさがあった。
そんな鬱憤を晴らすのが第2作『パージ:アナーキー』(2014年)。息子を飲酒運転で事故死させた男に復讐するため、父親である刑事が重武装して街に繰り出す。この刑事の逃避行を通じてダウンタウンの様子が描かれるが、そこで行われるのは「公平な」殺し合いでなく、弱肉強食の虐殺だった。
決死の逃避行を続ける一行(映画『パージ:アナーキー』より)
第3作『パージ:大統領令』(2016年)は同年の大統領選(ヒラリー・クリントンvsドナルド・トランプ)と重なって最大のヒットとなった。「パージ法」廃案を目指す人気の上院議員が「パージの」夜、暗殺者たちに狙われる。本作で、アメリカを支配する「新しい建国の父」がキリスト教原理主義団体であることが判明する。現実のいわゆるキリスト教福音派の、アメリカにおける政治的影響力の強さを反映した設定だろう(同年、米福音派はトランプを支持して国政における影響力を示した)。
この「キリスト教原理主義が支配したアメリカ」は絵空事でないように思える。米福音派の支持を得たトランプ大統領の4年間が、まさに「パージ法」に突き進むかのような危うさを感じさせたからだ。テキサス州で2021年9月1日に(事実上の)中絶禁止法が施行されたのもそれと無関係ではない。
マーガレット・アトウッドのディストピア小説『侍女の物語』(1985年)もキリスト教原理主義に支配されたアメリカを描いている。ここでは健康な女性は「子を産む機械」として奴隷同然に扱われる。30年以上前の作品だが、上記の中絶禁止法と重なって今こそリアルさを増している(同作は1990年に映画化、2017年にドラマ化されていて今も人気だ)。
もちろんキリスト教原理主義が公に殺人を肯定しているわけではない。けれどその排他性と、時に人権を無視する教条主義は、彼らの規範に該当しない人たちを容赦なく切り捨てている。その意味で、彼らは現在に至るまで「粛清(パージ)」を繰り返していると言える。『パージ』シリーズはそんな現実をシニカルに風刺している。
性善説vs性悪説
本シリーズで繰り返し見られるのが「助けた相手に助けられる」パターンだ。
第1作では黒人男性を殺人者たちに差し出さなかった白人夫婦が、終盤その黒人男性に助けられる。第2作では黒人親子を武装集団から助け出した刑事が、最後にその黒人親子に命を救われる。第3作では主人公グループが上院議員を(ある者は命を賭して)助け、その結果「パージ法」の廃案を勝ち取る。これは仏教思想の因果応報とも言えるが、それより人間の善性への信頼に見える。人間は根源的に善をなせる存在なのだ、と。
一方の「パージ法」は、「年に1回人間の獣性を解放することでカタルシスを得る」のがモットーだ(本当の狙いは別にあるが)。人間を加害性に満ちた、本来的に悪い存在だと定義する。「原罪」を教義に含むキリスト教と親和性が高い。もっとも「パージ法」の背後にキリスト教原理主義団体がいることを考えれば、これは当然かもしれない。
最後の舞台は教会(映画『パージ:大統領令』より)
つまり本シリーズでは、一貫して性善説と性悪説がせめぎ合っている。そして前者を体現するのが貧困層や被差別者層であり、後者を体現するのが富裕層やキリスト教関係者だ。隣人愛を説くキリスト教が殺人を肯定し、そこから排除された人々が生きるか死ぬかの状況でなお隣人愛を示そうとする展開に、宗教指導者らから迫害されたキリストの顛末を想起する。人はいつの時代も同じ過ちを犯し、かつその中にあってなお人間としての気高さを発揮するのかもしれない。(ふみなる)
雑記
本シリーズは前日譚である第4作『パージ:エクスペリメント』(2017年)、完結編である第5作『パージ:フォーエバー』(2021年)と続くが、本稿では第3作までを取り上げた。
個人的なお勧めは第2作の『パージ:アナーキー』。後半、拉致された主人公グループが富裕層らの「狩猟場」に丸腰で投げ出され、死を待つばかりとなるが、戦闘力の高い刑事が素人同然の富裕層から武器を奪い取って形成をひっくり返すのが痛快だ。『グラディエーター』(2000年/リドリー・スコット監督)にも似たような展開があったのを思い出す。
その第2作に登場するレジスタンスの黒人リーダーは、マルコムXをモデルにしていると思われる。
今回紹介した映画
※オンライン投げ銭はPayPalにて受け付けています。
すでに登録済みの方は こちら