地獄はどこにあるのか

ふみなるのニュースレター第39号。『イカゲーム』にみる、韓国映画でネガティブに描写されやすいキリスト教。「弟子訓練」の弊害。そして「地獄」はどこにあるのか。約2100字。
ふみなる 2021.12.05
誰でも

韓国映画でネガティブに描写されやすいキリスト教

 過去の労働ストライキが原因で借金地獄に陥り、ギャンブルで絶望的な一攫千金を狙い続けるしかなくなった主人公ギフンは、「クリアすれば大金が手に入る」と誘われて絶海の孤島で謎ゲームに参加する。第1ゲームは「だるまさんがころんだ」。拍子抜けする参加者たちだったが、それは鬼が見ている間にわずかでも体を動かせば即射殺される、本物のデスゲームだった。

 『イカゲーム』(2021年/ファン・ドンヒョク監督)は2021年9月にネットフリックスで配信されるや大ヒットを記録した韓国ドラマ(全9話)。ネットでしばらく話題になり、ハロウィンの時期と重なって、運営スタッフのコスプレをする人が続出したほどだ。続編を示唆する終わり方だったため、早くも第2シーズンの制作が期待されている。

コスプレで大人気の運営スタッフ(『イカゲーム』より)

コスプレで大人気の運営スタッフ(『イカゲーム』より)

 本作は終盤にかけてキリスト教要素が増えていく。最終ゲーム前夜の「最後の晩餐」、それに参加する3人のプレイヤー、十字架のキリストと同じく手掌を貫かれるギフン、自己犠牲、1年後のギフンの(聖画にありがちな)キリストのような風貌……。そういった要素を探すのもクリスチャン的に楽しいかもしれない。ちなみに参加者の中にはプロテスタントの牧師と、(別口の)牧師の娘がいる。2人のキリスト教実践にまつわる議論は個人的に興味深かった。クリスチャンの方にぜひ見てほしいシーンだ。

 本作に限らず、韓国の映像作品にはキリスト教がよく登場する。牧師や教会といった直接的な描写もあれば、その要素をストーリーに絡めた暗喩的な描写もある。人口の約3割がキリスト教徒の韓国ならではかもしれない。

 またその中の少なくない作品で、キリスト教が批判的に描かれているのも興味深い。韓国映画に登場する牧師は悪者だったり、途中から悪者になったり、悪者でなくても愚かな行為に走って自滅したりすることが多い(『イカゲーム』もその例外ではない)。信仰熱心なクリスチャンは眉をひそめるかもしれないし、反キリスト的だと言うかもしれないが、そこに韓国のキリスト教事情が関係しているのは間違いないだろう。

「弟子訓練」の弊害

 教派によって事情が異なるので一概に言えないのはもちろんだが、韓国のキリスト教は(特に福音派系は)儒教の影響を強く受けている。中でも儒教の「五常(仁・義・礼・智・信)」の「礼」が重んじられており、ゆえに上下関係が厳格だ。

 私は2005年にソウルに教会研修に行かせてもらい、市内の複数のメガチャーチを巡ったが、どこも牧師ー副牧師ー信徒の上下関係(あるいは主従関係)が厳しい印象を受けた(例えば女性信徒が淹れてくれたお茶に牧師が平然とケチを付ける場面は、日本ではなかなか目にしないだろう)。牧師と信徒(あるいは先輩信徒と後輩信徒)の主従関係を主軸とした「弟子訓練プログラム」が韓国発なのも頷ける。韓国のキリスト教事情を詳しく知っているわけではないが、そこに何らかの軋轢が生じ得ることは容易に想像がつく。

 私自身も日本のペンテコステ教会で一時期「弟子訓練」を経験したが、師匠への絶対服従を事実上強制し、弟子の自己決定権を(やはり事実上)奪うことになるため、マインドコントロールに繋がる危うさがある。それは羊飼いが羊を「緑の牧場に伏させる」行為でなく、逆に狭い檻に閉じ込める行為だ。

 その本場である韓国の「弟子訓練」の実践内容も聞いたことがあるが、(ごく一部の例かもしれないが)日本の比ではなかった。弟子は師匠の前ではプライバシーがなく、全てを包み隠さず話さなければならない。日に何度もメールをやり取りし、行動を制限されたり強制されたりもする。師匠の言うことは絶対で、どんなに不本意でも弟子は従わなければならない(もはやキリスト教とは思えないレベルだ)。

身勝手な主張を繰り返す牧師(『イカゲーム』より)

身勝手な主張を繰り返す牧師(『イカゲーム』より)

 そういった(「弟子訓練」に限らない)行き過ぎたキリスト教実践に対する反発が、多くの韓国映画におけるネガティブなキリスト教描写に、直接的であれ間接的であれ繋がっているように思えてならない。『イカゲーム』に登場する牧師も非常に自分勝手な人物だった。率先して他者を殺し、もはや偽善的ですらないのだ。

 そのようにネガティブに描かれる現実から、キリスト教界は目を逸らしてはならないと思う。

地獄はどこにあるのか

 『イカゲーム』が他のデスゲーム作品と決定的に異なるのは、「途中離脱が認められる」点だ。参加者の過半数が同意すれば、ゲームはそこで放棄できる(ただし、それまでに獲得した賞金も放棄しなければならない)。実際、第1ゲームの後、本当に殺されると分かった参加者らはゲームを放棄した。そしてそれぞれの日常へ戻って行った。

 しかしその日常もまた地獄だった。ある者は借金取りに追われ、ある者は警察に追われ、ある者は外国のマフィアに追われて、死ぬよりほかに逃げ場がない。むしろゲームに参加していた方が衣食住が保障され、逃げる必要がなく、「安全」にさえ見えてくる。そもそもゲームに参加せざるを得なかったのっぴきならない事情が、今一度浮き彫りになる仕組みだ。

 キリスト教の一部は死後の地獄を強調するが、この現代社会こそが地獄になり得る(第2話のタイトルがそのまま「地獄」となっている通りに)。地獄としか思えない状況にある人にとって、「神を信じないまま死んだら地獄へ堕ちる」という言葉のなんと空虚なことか。むしろ今の地獄から逃れるためなら死んだ方がマシだ、地獄へでもどこでも堕としてくれ、とさえ思うだろう。クリスチャンは死後の地獄より、現代社会における地獄としか思えない様々な状況について、どうやったら解消できるのか、考えて取り組むべきではないだろうか。(ふみなる)

最終話のギフンの赤髪は何を意味するのか(『イカゲーム」より)

最終話のギフンの赤髪は何を意味するのか(『イカゲーム」より)

今回紹介した作品

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