帰る場所があるうちに

ふみなるのニュースレター第20号。映画「ジョジョ・ラビット」が提示する、洗脳を解く鍵とは。そして洗脳が解かれた時、帰る場所があるのはなんと幸いなことか。約3200字。
ふみなる 2021.07.25
誰でも

洗脳を解く鍵は

 「ジョジョ・ラビット」(タイカ・ワイティティ監督/2019年)は第二次世界大戦下のドイツ市民の日常を描いた映画です。ヒトラーユーゲント(ヒトラー青少年団)に加入したばかりの10歳の少年ジョジョの目線を通して描かれるそれは、時に明るく牧歌的ですが、時に容赦なく残酷です。

 ヒトラーユーゲントの仲間たち同様、ジョジョはヒトラーを敬愛し、「立派な兵士になりたい」と意気込んでいます。彼のイマジナリーフレンドのアドルフ(アドルフ・ヒトラーそっくりの容貌)も彼を応援し、父親代わりに様々な助言をします。10歳にして(10歳だからこそ?)ナチズムに見事なまでに洗脳されているのです。イントロに流れるビートルズの「I want to hold your hand」の軽快なノリと、ヒトラーユーゲントの少年たちの浮かれっぷりのシンクロは、まだ戦争の現実を知らない子どもたちの無責任な熱狂を示しているように見えます。

イマジナリーフレンドのアドルフは洗脳の象徴としてたびたび登場する(映画「ジョジョ・ラビット」より)

イマジナリーフレンドのアドルフは洗脳の象徴としてたびたび登場する(映画「ジョジョ・ラビット」より)

 本作は「戦争を否定する愛の物語」と言われますが、わたしは「少年の洗脳を解く愛の物語」として紹介します。本作を貫く幹であるジョジョとアドルフの関係が最後に崩壊し、ジョジョの洗脳が解けたことを示唆して終わるからです。しかしそこに至るには、大きな犠牲が必要でした。

 ジョジョの洗脳を解くのに重要な役割を果たす登場人物は3人。母親のロージー、ユースキャンプの責任者キャプテンK、そしてジョジョの家に匿われているユダヤ人エルサ。

 この3人はジョジョに頭ごなしに「目を覚ませ!」とか「お前は間違っている!」とか説教しません。むしろヒトラーユーゲントとして頑張るジョジョを応援し、見守ります。そして「ここ」というところで戦争の悲惨さ、残酷さ、理不尽さを直視させます。街の広場に吊るされた反ナチス活動家たちの遺体を直視できないジョジョに、「しっかり見なさい」とロージーが諭すのもその一つでしょう。

 ロージーはジョジョのヒトラーへの狂信ぶりに困惑していますが、決して責め立てたり、説得したりしようとしません。その代わりに息子をピクニックに連れ出したり、ダンスに誘ったりします(二人並んで自転車を走らせる田園風景の美しいこと)。そうやって「解放された自由な人間」がどんなものか、身をもって伝えようとしました。

 これはカルト宗教や陰謀論に洗脳された人への関わり方の、一つのヒントになるかもしれません。その妄信を指摘して論破しようとすると、相手を余計に頑なにさせてしまうことがあります。それより広い世界へ導き出し、相手に自ら考えてもらう方が、良い結果を生むかもしれません。

 そのロージーの選択が功を奏したのか、ジョジョは様々な場面で考え、悩み、迷います。冒頭の能天気な浮かれっぷりは物語の進行とともに鳴りを潜めます。そして終盤、街が連合軍の攻撃を受け、ヒトラーユーゲントの仲間たちが次々と死んでいく中、ジョジョはついに自分が間違っていたと気づくのでした。

ジョジョに寄り添う母ロージー(映画「ジョジョ・ラビット」より)

ジョジョに寄り添う母ロージー(映画「ジョジョ・ラビット」より)

帰る場所があるうちに

 このジョジョの体験は、わたし個人の体験と重なります。というのはわたしは19歳の時から約20年間、カルトな教会に属していたからです(カルト化が深刻なレベルになったのは最後の数年でしたが)。

 その間、わたしは使命感から、実家の両親にことあるごとに聖書の話をし、「自分の教会の活動の重要さ」を伝えてきました。困惑する両親を見て「霊的に開かれていない、何も分かっていない人たちだ」などと傲慢に考えたものです。

 しかし、何も分かっていないのはわたしの方でした。自分が自慢げに語ってきた教会の解散が決まった時、わたしは両親に何と言えばいいか分かりませんでした。

 しかし落胆しつつ事情を伝えたわたしに、両親は「それは大変だったね」と優しく語りかけてくれました。「そらみろ」とか「言わんこっちゃない」とか責められるかと思いましたが、そんなことは一切ありませんでした。そういえば両親はわたしが熱心な教会員だった頃から、わたしを否定するようなことは一言も言いませんでした。たぶんジョジョを見守るロージーのように、わたしを見守っていてくれたのです。

 悲しいことに、ロージーは改心したジョジョを見ることはできませんでした。終戦を迎え、エルサが待つ家に一人帰るジョジョはどれほど後悔し、どれほど母にもう一度会いたいと願ったことでしょう。ジョジョは我に返ることはできましたが、母のもとに帰ることはできませんでした。

 わたしと同じように、カルトな教会で(そうとは知らずに)苦しめられている人が、今もいるかもしれません。自分が洗脳されているとは気づかず、「これが正しい信仰だ」と信じて誰かを傷つけてしまっているかもしれません。そういう人たちが、帰る場所があるうちに帰れることを願ってやみません。どうかこの文章がその人たちに届きますように。

家に匿われていたユダヤ人のエルサに少しずつ歩み寄るジョジョ(映画「ジョジョ・ラビット」より)

家に匿われていたユダヤ人のエルサに少しずつ歩み寄るジョジョ(映画「ジョジョ・ラビット」より)

象徴的な選曲

 本作はビートルズの「I want to hold your hand」で始まり、デヴィッド・ボウイの「”Heroes”」で終わります。前者はヒトラーユーゲントの少年たちの無責任な熱狂と重なる、と冒頭で述べました(ビートルズの楽曲が無責任な熱狂だということではありません)。では後者の「”Heroes"」は何と重なるでしょうか。

 「”Heroes”」はデヴィッド・ボウイが西ドイツ滞在中に作った曲です。彼は1987年(ベルリンの壁崩壊の2年前)、ベルリンの壁の近くでライブを行い、東ドイツに向かって(壁の向こう側に向かって)この歌を歌いました。この時、東側にも大勢の市民が集まったそうです。

 本作は1945年のドイツの敗戦で幕を閉じますが、ご存知の通り、その後ドイツは1961年から28年間、壁で東西を分断されてしまいます。ストレートに解釈すれば、この選曲は「来たるべき東西分断をも愛は乗り越える」といったメッセージになるかもしれません。

 一方でドイツ人のジョジョとユダヤ人のエルサが「”Heroes”」のリズムにのって軽快に踊るエンディングに、(ロージーが言っていた)「解放された自由な人間」を見ます。「踊りは失業者のすることだ」と罵っていたジョジョが自らノリノリで踊るのは、エルサへの(ユダヤ人への)人種的偏見という過ちについに気づけたからではないでしょうか。その意味で結末に「”Heroes”」が使われているのは、物理的な分断も心理的な分断も我々は乗り越えていくべきだし、乗り越えることができるのだ、というメッセージではないかとわたしは考えます。

広場の処刑台から目を逸らさないようジョジョに諭すロージー(映画「ジョジョ・ラビット」より)

広場の処刑台から目を逸らさないようジョジョに諭すロージー(映画「ジョジョ・ラビット」より)

オマケ① 初見と再見で印象が変わるキャプテンK

 本稿で名前が一度しか登場しなかったキャプテンKですが、本作にとってもジョジョにとっても、非常に重要な人物です。

 キャプテンKはナチスの将校でありながら、ふざけた台詞ばかり連発する掴みどころのない男です。ジョジョがキャンプで大怪我を負うのも彼の不注意のせいでした(不可抗力だった気もしますが)。責任者として全く当てになりません。

 しかしジョジョの家に秘密警察が押し入った際、駆けつけたキャプテンKがジョジョとエルサを助けます。それだけでなく最後はジョジョを身を挺して守りさえしました。実はキャプテンKは反ナチス派だったのです(その理由は明かされません)。

 序盤、ジョジョはイマジナリーフレンドのアドルフを父親のように思っていましたが、終盤になってこのキャプテンKこそ父親のように自分を守っていてくれたのだと気づきます。同じ第二次世界大戦を舞台としたイタリア映画「ライフ・イズ・ビューティフル」(ロベルト・ベニーニ監督/1997年)のお父さんを彷彿させる人物です。

最後の戦闘までふざけた格好で臨むキャプテンK(映画「ジョジョ・ラビット」より)

最後の戦闘までふざけた格好で臨むキャプテンK(映画「ジョジョ・ラビット」より)

 キャプテンKの顛末を知った上でもう一度本作を見返すと、そのとぼけた行動の裏に隠れた苦悩や情熱を垣間見ることができるかもしれません。また多くの考察が述べる通り、彼と部下のフィンケルは同性愛カップルだと暗示されています(それもナチスに反発する要因の一つだったかもしれません)。

オマケ② 靴と靴紐

 本作で何度か不自然にクローズアップされるのが、ロージーの靴を履いた足もとです。その意味は終盤になって明らかにされます(ぜひお確かめ下さい)。

何度となくアップされるロージーの足もとの意味は……(映画「ジョジョ・ラビット」より)

何度となくアップされるロージーの足もとの意味は……(映画「ジョジョ・ラビット」より)

 またジョジョは「10歳なのに靴紐も結べない」とアドルフに揶揄される通り、ロージーに靴紐を結んでもらうシーンが何度かあります。そんなジョジョが最後にエルサの靴紐を結んであげるのは、彼の成長と自立の証でしょう。本作は少年が洗脳から解放され、自立していく物語なのです。(ふみなる)

今回取り上げた映画

「ジョジョ・ラビット」

「ライフ・イズ・ビューティフル」

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