「信じる」という幸せ
ニュースレター第10号はアリ・アスター監督の2019年の問題作「ミッドサマー」を取り上げます。「信じる」ことは人を救済するのか、しないのか。
再生か洗脳か
2019年の映画「ミッドサマー」はスウェーデン北部の閉鎖的な共同体の「夏至祭」を描くホラーです(アリ・アスター監督は「ホラーではない」と明言していますが、ホラーです)。猟奇的な描写が散見され、R15指定で本当に大丈夫なのかと心配になるレベル。しかも緑豊かな白夜の中、白い衣装の人々が終始笑顔で過ごしているため、従来のホラー映画にない異様な雰囲気があります。
北欧の美しい共同体ホルガが惨劇の舞台となる(映画「ミッドサマー」)
アメリカの大学生ダニーは不安障害を抱えています。精神疾患を持つ妹が両親と無理心中してしまったことで、失意の底に。パートナーのクリスチャンとも微妙な関係になっています。映画の冒頭から、ダニーは徹底的に打ちのめされています(何度か見返して気づきましたが、彼女が愛想笑い以外で笑うシーンは、一箇所を除いて一度もありません)。
そんなダニーが大学の友人たちとスウェーデンに行くことになります。行き先はヘルシングランド地方のホルガという風変わりなコミュニティ。白い衣装の村人たちが、原始的な暮らしを営んでいます(暮らし向きで言えばクエーカー教徒の共同体に似ているかもしれません)。みんな笑顔で優しく、一見パラダイスのようです。
しかし彼らはペイカニズム的な宗教を信仰していました。その教えによると、90年に一度の夏至祭(ちょうどダニーたちが訪れたのがそれ)で、9人の生贄を捧げなければなりません。ダニーたち一行は、一人一人その犠牲になっていくのでした。ダニー自身は唯一生き残りますが、コミュニティに囚われたような形で映画は終わります。
これがとんでもないバッド・エンディングかと思いきや、ダニーにとってそうではありません。その年のメイクイーン(女王)に選ばれた彼女は花で飾られ、友人たち(パートナーのクリスチャン含む)の死体が焼かれていく様を見つめながら、劇中初めての(そして唯一の)笑顔を見せます。
結末でダニーが唯一見せる笑顔。(映画「ミッドサマー」)
ダニーはホルガの夏至祭を通して、「癒し」を経験したのでした。
ダニーの友人たちは冒頭から、精神疾患を抱えるダニーの扱いに困っていました。パートナーのクリスチャンも実は彼女と別れたがっています。既に家族はなく、他に頼れる人もいません。ダニーはずっと孤独で、疎外感を覚えていたのです。
そんな彼女がホルガの村人たちに受け入れられ、過去のしがらみを(友人たちの死という形で)断ち切り、おそらく違法薬物の助けもあって、「再生」していきます。その意味で「ミッドサマー」はダニーの回復の物語と言えるかもしれません。「洗脳」と言い換えることもできるかもしれませんが。
「信じる」という幸せ
失意と混乱の中にあったダニーが、ホルガの独特の生活習慣や奇妙な儀式に戸惑いながらも順応し、最後に「これでいいんだ」と言わんばかりの笑顔を見せるのは、人生に絶望した人が宗教に救済される姿に似ています。彼女は今後、ホルガのコミュニティで、それまでの苦悩から解き放たれた生活を送っていくのでしょう。キリスト教で言えば、天地の創造主である神様を見出し、その教えに従うことで心の平安を得るクリスチャンに似ています。
孤独と疎外感に苛まれ、居場所を失っていたダニー。(映画「ミッドサマー」)
もちろんダニーがホルガのコミュニティで生きていくことは、そこで行われる人権侵害や殺人、死体損壊、監禁、薬物乱用等の犯罪に加担することでもあります。オウム真理教で「この世の真理」を見出した信者たちが、地下鉄サリン事件のようなテロ行為を「教義のため」「大義のため」に率先して起こしてしまったように。彼女の「安定」と「幸福」には、そのような犠牲が伴っています。
「信じる」ことは時に人の感覚を麻痺させ、それまで見えていたものを見えなくさせます(逆説的に、「見えなくなることで楽になる」効果もあるでしょう)。
先日知人と話していて、「カルト宗教でも信じ切っている人はそれで幸せ」というような話になりました。確かにそうかもしれません。わたしもカルト教会に20年ほどいましたが、生きる指針がはっきりしていた分、あれこれ考えたり迷ったりしないで済んでいた気がします(違う種類の苦労は沢山ありましたが)。実際、教会が問題を起こして解散していなければ、わたしはまだあのままだったのではないでしょうか。その意味でダニーの最後の笑顔は、わたしにとって全く他人事ではありません。
隠し要素
「ミッドサマー」には隠れた伏線や要素がいくつか盛り込まれています。その一つは劇中に度々挟み込まれる絵画です。監督が明言していますが、それぞれの絵画はその後の展開を予兆するものとなっています。特に冒頭に表示されるものは左端に不吉なドクロ、右端に笑みを浮かべる太陽が描かれており、映画全体のストーリーを一枚に凝縮したものと言えるでしょう。ダニーの心情の変遷(左から右へ)を端的に表しています。
映画全体を暗示する絵画が冒頭に映し出される。(映画「ミッドサマー」)
もう一つはメイクイーンに選ばれたダニーが台に乗せられて、運ばれるシーンです。よく見ると背後の風景が歪んでおり、一部が人の顔のようになっています。これは自殺した妹の顔で、ダニーが家族の死に付き纏われていることを暗示しています(家族の死のイメージは劇中度々表れて、ダニーを混乱させます)。
背後の森にダニーの妹の顔が浮かび上がっている。(映画「ミッドサマー」)
このような隠し要素は探せば他にもありそうです。細部まで作り込まれた映画ですから、何度も見返すうちに気づくことがあるかもしれません。(ふみなる)
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