メイルゲイズ(Male Gaze)との出会い
今回は「メイルゲイズ」と出会った話を短く書きます。どうぞ最後までお付き合い下さい。
メイルゲイズ(Male Gaze)との出会い
先日知人が会話の中で「メイルゲイズ」という言葉を使っていて、わたしは内心「なんだそれ??」と気になってその場でググりたくなりました(必死で堪えました)。後から調べたところ、Male Gazeという綴りで、1975年に理論化された「(特に映画において)女性に向けられる男性目線」とのこと。
先日のtheLetterで「男性クリエイターが作る女性キャラクターの歪み・偏見・過度の理想化・小道具化」について少し書きましたが、まさか自分なりの「気づき」がとっくの昔に理論化されていたとは! と驚きました。やはり勉強は大切です。
わたしが嫌いな映画の(パターン化された)シーンの一つに、「主人公の男性が朝ベッドで目覚めると、隣に一夜限りの女性が寝ている」というのがあります。その女性は主人公がいかにモテるか、いかにカッコいいか(カッコいいと思いませんが)を描くためだけに使われる駒に過ぎず、当然ながらその後一切登場しません。主人公の隣で寝ているマスコットかトロフィーで、まさにメイルゲイズでしょう。その扱いが不快で、全体として期待できそうな映画でもわたしは見る気をなくしてしまいます。
主人公の隣で眠るだけの女性(映画「ワイルドスピード/スーパーコンボ」より)
ちなみに最近だとリブート版「スタートレック」(J・J・エイブラムス監督/2009年)、「アウトロー」(クリストファー・マッカリー監督/2012年)、「アトミック・ブロンド」(デヴィット・リーチ監督/2017年)「ワイルドスピード/スーパーコンボ」(デヴィット・リーチ監督/2019年)に当該シーンがありました(全部男性監督です)。どれも大作映画ですが、観客の皆さんはどう感じたのでしょうか。
これがいかに異常なシーンか、特に男性に分からせるためには、女性主人公の隣に名前も台詞もその後の出番もない男性キャラをただ寝かせておくのがいいかもしれません。
ところでわたしがメイルゲイズという言葉を仕入れた数日後、Twitterでフォローしている方が奇しくもメイルゲイズを解説するツイートをしていました。それでより知識が深まった形です。なんたる偶然でしょう。わたしがいつも問題視している福音派系クリスチャンなら「神様の導きに感謝します!」とか言うところでしょうか(彼らが偶然と必然をどう区別しているのかは知りません)。
聖書の中のメイルゲイズ
そういう視点で聖書を見てみますと、やはりそこにもメイルゲイズがあります。例えばソロモン王の母親として有名なバテ・シェバ。ダビデと無理やり関係を持たされ、夫ウリヤを謀殺され、ダビデの妻にさせられ、挙句に身籠った子まで亡くしてしまった女性です。何もかも王に奪われ、その王と共に生きなければならない屈辱はいかほどでしょうか。彼女の視点でこの物語が書かれたら、ダビデは間違いなく「クズ男」です。
しかしダビデがほぼ視点人物とされているため、こういった非道な行為も「まあまあ、人間みんな完全じゃないからさ」みたいな、加害者に優しい世界になってしまいます(ダビデの数々の武勲、特にゴリアテを倒したエピソードがその世界を後押しすることでしょう)。Black lives matterに対してAll lives matterと返すような、巧妙なずらしです。
このようにバテ・シェバはメイルゲイズによって物語の端っこに追いやられ、ダビデの英雄譚に汚点をもたらした人物であるかのように(彼女自身はむしろ被害者なのに)扱われてしまっています。今の時代にこのエピソードがそのまま映画化されたら、相当批判されるのではないでしょうか。
今回は短いですがここまでです。最後までお読み下さりありがとうございました。また次の日曜日にお届けします。今週も皆さんにとって良い一週間でありますように。(ふみなる)
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